目黒行進曲

小学生の頃、親父が飼っていた熱帯魚。

はじめて見る原色大図鑑に釘付けになったのを憶えている。

当時は東京目黒区に住んでいた。30うん年前である。

目黒川に生きるたくましい「黒」メダカ?や生活排水の添加剤で色揚げされて元気に泳ぐたくましい多摩川のクチボソやフナたちの色に慣れていた俺の目ん玉フィルターにとっては、今までにない世界がそこに広がっていた。

世田谷公園の近くにあった熱帯魚店。そこに親父と行くのが好きだった。

見慣れない綺麗な蛍光灯の色に演出された遠い国からやって来た魚たち、当時はブリードものは少なく、ほとんど舶来物(現地採取)だったと思う。

例えば、カージナルテトラ3匹お買い上げでも1匹づつ丁寧にビニール、新聞紙、発泡スチロール梱包。そして車まで運んでくれる。

そこにいるスタッフたちは何ら今のレクサスのスタッフと変わらないものであった。

しいて違うとこは、真紅の絨毯の上を歩き、スタッフと記念写真を撮らないことだけであろうか?
まあ、そこは大したことではないが、、おっと、あとTetraのロゴのロールケーキはでてこなかった。

その水族館がうちにやってくる!慣れた手つきで水温、水質合わせ、リリース。
スタッフに聞いてやっていたんだろうか、親父がレクサス・スタッフに見える!

パパかっこいい!

ガード下の赤ちょうちんに毎日飲み歩き、顔を合わせるのは週末ぐらい。

おやじ


ビルの下が職場なのに。

釣りと魚が唯一の接点であった。


当時のガラス水槽はステンレスの枠でいい雰囲気であった。上部フィルターに大磯砂だったと思う。

水草はカホンバとアマゾンソード水上葉(爆)、じいちゃんが生涯自慢していたマンモスの化石風の石(入手先不明)?がレイアウトされていた。

シルバーハチェットが隣のテレビ裏の網の上で天日干しされていた光景を思い出すと、水面下でかなりの数の熱帯魚が投入され続けていたと推測される。

しかし、それも4年生になる頃にはブラックバスとナマズの生簀に替わっていた。


(未完)



ふ、ふた。。。


鈴木製作所 ガラス水槽  30cm用フタ()


今のご用達ショップ!安しぃー!
ティアラです。



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少し真面目になってみます、、、

かず印(爆)。

Author:かず印(爆)。

まにあ。
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